Love my bouncer

楓零軒さんの小説「メメントモリ」についての考察・感想を書きます。

メメントモリと自分

綺麗な文章にはできないと思いますが、今日は分析ではなく私にとってのメメントモリの存在について、自分の言葉で少し書きます。

 

 

初めて読んだのは高校生の頃。おそらく急に暗い子になったと思う。

都会的な生活と大学生に憧れた。エージみたいな明るい子と友達になりたいと思った。ツバキさんのフードを目深にかぶる陰のある描写が美しいと思った。

エージ亡くなってからの描写読むの辛いな。なんでケーゴ以外みんなミヤコにやさしいの。

甘い香水を付けてみたいな(学校にバニラの香水を付けていって露骨にいやがられた)。エディットピアフという人物に興味を持った。ミヤビさん美人だろうなどんな人だったんだろう。エージひどいな。

これが一周目の感想。

 

 

10代のうちに綺麗にいなくなりたい、と漠然と思っていた自分は、

夢を持ち、あっけなく二十歳を迎えてしまった。

その夢もかなえられず、だらだらと大学を卒業し、惰性で安泰な日々を送り、

恋に落ちてぬるま湯のような恋をしていた。幸せだったんだと思う。

 

25歳のとき、どうしても人生を終わらせなければならない、と思う出来事があり、

突発的な行動で死にかける。措置入院。病気休職。

助かってしまった、元の自分には戻れない、という事実に絶望し、意識を取り戻してからただ泣いていた。

 

何もすることがないただ白い空間で私は、精神病棟に入院したミヤコを思い出していた。

一人きりにさせてもらえない、病院着にスリッパで病院内を歩く私は、

あのときのミヤコと同じ状態なのだろうか。

 

それから私は病床で、メメントモリを読んでいた。

なんて思ったかは思い出せない。どうすればいいのか考えていたから。

ただ、ミヤコが生きていたから、私も生きられたのかもしれない。

2度の退院日にケーゴが迎えに来たミヤコがちょっとだけ羨ましかった。

 

 

その後の自分は、時々古傷をえぐられたり、ときどき家族を悲しませたりしながら

その日なんてなかったかのように隠して今も生きている。

幸せだと感じる日もあるし、幸せだと言い聞かせる日もあるし、あの日消え損なったと思う日もある。

 

 

 

作中に登場した『欲しいもの』について時々考える。

永遠の愛は欲しいと思ったことがない。きっと自分はそこそこ愛されているんだろう。

今の自分に居場所があるとも思わないが、欲しいとも思わないのは結構いい環境にいるからだろう。

自分が飛び抜けて不幸だと思うことはない。

容姿も社会的地位も経済力も人もそこそこに恵まれているとしたら___

 

自分がなにより欲しいものは、

『好きに死ぬ権利』。

 

必要以上に人を、できれば自分も苦しませず、綺麗なままで綺麗な時期にいなくなりたい。10代のころから漠然と考えてきた願望が、年を取ってはっきり象ってきた。

白洲次郎みたいに戒名不要葬式不要で、

誰の思い出にも残らず、最後は砂みたいに風に吹かれて飛んでいきたい。

そう考えるようになってからは、あらゆることを簡単に手放せた。

恋人も子どももいらない。無責任だと思うからつくらないし、欲しいと思ったことがない。

今はこの欲しいものを誰にも悟られず、計画し、夢想しながら生活している。

『欲しいもの』を誰かに話したり、共有したりできないことは少し寂しいけど、

絶対に口に出さないほうがいいことだと分かっているので、きっと誰かに言うことはないだろう。

 

 

但し、作中でのミヤコと同じく、欲しいもののために全てを捨てる覚悟は私にはないし、誰かを傷つけてまで自分が得ようとすることはできない。

傷つけられなかった。一度失敗したときに、周囲がどうなるか知ってしまったから。

だから、今もちょっとだけ、ずっと、苦しい。

いつか全部捨ててやろう、捨てる準備しよう、と思いながら今日まで生きてしまった。

ずっと生き続ける勇気もないのに、周りの人の脳みそに自分の思い出を増やし続けてしまっている。

自分の欲しいものが手に入りづらくなっていくのに。辛い。

いっそのこと、自分も美しい町並みとともに海底深くに沈んでいきたい。

 

 

とりとめのない文章ですが、自分にとってのメメントモリです。

いつか答えを出せたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最も恐れていたこと

最も恐れていたことが起こるかもしれない__________________

 

お久しぶりです。長らく更新が滞っておりました。

私自身は何も変わらないままに、3年が過ぎています。

一進一退を繰り返しながらも代わり映えのない生活に突然飛び込んできた一本のお知らせ。

 

 

魔法のiらんど サービス終了』

 

 

ブログ投稿1本目の記事でも少し触れましたが、あまりデジタルを信用していませんので、いつか来ると思っていた報がついに来たかという感情でした。

ただ、詳細を確認してみると、作品を後継サービスに移行することも可能なようだ。

 

作者に移行の意思があれば。であるが...

 

 

 

ここ何年か、平成に誕生したさまざまなInternetサービス終了に伴い、移行の手立てもなく消えていった作品をたくさん目にしてきた。

表現が適しているかは分からないが、見慣れた美しい町並みが水に沈んでいくイメージが脳裏に浮かぶ。少しの光も差し込まない水の底に広がるかつての巨大文明。

それはそれで綺麗なのかもしれないが。

 

作品の消滅

 

やはり作品が見られなくなってしまうのは一読者としては非常に大きな問題だ。

メメントモリの楓零軒さんは、ここ2,3年ブログも更新されていない様子なため、

移行を行っていただけるのか本日時点では定かではない。

 

 

楓零軒様、

もし、もし、可能でしたら、作品の移行もしくは保存を何卒お願いいたします...!

 

 

しかしやはり、魔法のiらんどサービス終了とともに作品が拝読できなくなる可能性は大いにある。

 

もはや自分にとって聖書のような存在となっている大切な作品を、また読み返しているこの頃。

今回に至っては、自分の頭に焼き付けるように、大切に一行一行読み返している。

自分に南方熊楠のような才があれば、、、!

 

 

作品との永遠の別れの予感を感じている近況をお届けしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作者が引き継ぎ

ケーゴ分析①

話はメメントモリの話に戻ります。

 

※※以下の文は既に本作品を読まれた方向けのお話になりますので、

作品のネタバレを含んでおります。予めご注意を。

 

 

 

ここでは本作品の中で私が特に大好きな人物である、

渋沢景護(以下、ケーゴ)について書いていきます。

個人的にケーゴの好きなところは

・スペックの高さ

・センスがいい

・洗練された佇まい

・伝わりにくい愛情表現

・冷静で的確な状況把握能力

・傍若無人で孤高

こんな感じです。

ただ、メメントモリシリーズを通して、ケーゴの心情は大きく変わっていきます。

私の記憶を思い起こす為にも、

物語全体の顛末を大きく分けて主にケーゴについて考えて書きたいと思います。

仮に

Ⅰ 登場

Ⅱ 様子見期

Ⅲ 闇期

Ⅳ 同居期

としましょう。(ネーミングセンスなくてごめんなさい。)

 

まず、

Ⅰ 登場期。『目障りだ』とミヤコを殴る場面ですかね。

ケーゴは灰色の雰囲気を纏っていて、ある意味では地に足がついたソリッドな雰囲気を感じます。主観的(ミヤコ的)には悪印象を持ちますよね。

 洗練された、というのが私的ケーゴの好きな表現です。確かツバキさんが言っていましたね。

『西洋の不機嫌な王子の有名な絵画を思い出した』が、いつもどの絵だろう、と考え検索しますが、どれもあまりしっくりきません。私のイメージはルネサンス期の宗教画です。

この頃の灰色の雰囲気には(諦め、欲しいものへの苛立ち、愛への嫌悪、支配欲、堕落、自己犠牲)がぶわっと感じられてそんなケーゴも好きです。

 

Ⅱ 様子見期。特に名前のつけようがなく様子見にしましたが、エージが死ぬあたりまでのことです。ミヤコにとってはわりと幸せな時期ですね。

細かい好きな場面については後々言及していきたいので、ここでは省略します。

ここではミヤコが塾終わりに喫煙所~カラビンカで会う場面、クラブのVIPルームでみんなと遊ぶつかの間の楽しそうな場面、ツバキが捕まりその復習に動いた仲間にぶち切れ、ミヤコの首をしめる場面などがあります。

特に私は、ミヤコに対して何度か言う「エージに関わるな」が印象的です。

この段階ではケーゴは全知全能の神のように思えますが、その神が幸せの中のミヤコに不穏な忠告をしてきます。

既にケーゴはミヤコの言う「永遠」に関心を持っており、興味対象となっていたと思います。

ケーゴは終始相反する感情を持っています。自分が諦めていた 永遠 というものをミヤコが証明してくれるかもしれない、という期待の感情。しかしその一方で、ミヤコはエージの心にあるもう一人のミヤの代わりに過ぎないのではないかと思い、ミヤコに上記の忠告をしています。これはミヤコが傷つかないため、と私は解釈しています。

ミヤコのことはこの段階ではどう思っていたのでしょうか。

仲間意識というものはないでしょうし、おもしれー女というのもなにか違う気がします。自分の世界を根底から覆してくれる気がする人。ワクワクするけどイライラもする。といった感じでしょうか。

 

Ⅲ 闇期。エージの死から退院までとしましょう。この部分は読むのが辛くて他の章と比較して実は読み返した回数はちょっと少ないです。

最近はエージの死の裏側に思いを馳せて読んでいます。

エージのくしゃくしゃになった携帯電話は、エージにこの町を去ると聞き、苛々と壊すケーゴが目に浮かびます。やっぱり少しミヤコに同情もしている気がします。

エージは死んだ、というガレージの場面、悲しくて綺麗ですよね。

窓を叩く雨音、薄暗い部屋で行為中の男女。ぐしょ濡れで立ち尽くすミヤコ。

ミヤコの肌の痕を指でなぞるケーゴは、ケーゴは…どんな気持ちだったのでしょう。

そして、ミヤコ病み期に入ります。この時期、ケーゴは基本的にめんどくさがっているようにしか見えません。(騙しておいてひどい)

ミヤコが記憶が飛んでも、自傷行為をしても、昏迷となっても、入院してもなんとも思っていなさそうです。

ここから退院を迎えに来るまでの間に何か心境の変化があったように思えます。

これはおそらくですが、描写は出てきませんがミヤコの入院中に、ケーゴは恭ちゃんに連れられてミヤコの実家に行っています。ここでのミヤコの親たちの態度を見て、ここにミヤコを返したくない、と思ったと推測しました。

この段階では、文中でケーゴ本人が言っているように、本当にボランティアに近い感情だったと思います。しかし、この行動をきっかけにミヤコに再び関わり、惹かれていったのではないでしょうか。

 

Ⅳ 同居期~終。ガレージに住むあたりからは、ケーゴも気付かないうちにミヤコへの  好き が漏れていて、読んでいる私はとんでもない顔でにやけていることでしょう。

ケーゴがミヤコに惹かれている、と気付くのはだいぶ終盤です。恋愛感情の自覚のない人の行動は恐ろしいものです。

親切な(?)ケーゴはミヤコに『エージの言うことは信じるな』『あいつの言うことは吐く息以外全部嘘だ』と、いいますが、たしかにケーゴは基本的に嘘はつきません。その代わり言いたくないことは言いません。これは作品中で他のGPのメンバーと対比になっているな、と感じます。

たしかにエージは嘘つきで、でも根はいいやつなのが伝わるから誠実に見えるタイプですね。ツバキさんは人を選んで嘘をつくタイプでしょうか。敢えて言わない、という選択肢もとる優しさを持つ人です。愛さんは嘘をつくつかない以前に嘘が下手なので素直でしたね。ミヤコは__騙される側の人だと思います。でもミヤコもちょこちょこ嘘ついてますよね。ノーマルな人間、ということにします。

この章では、昔のように冷酷なだけではなく、ケーゴの感情(動揺、嫉妬、失望、悲しみなど)が一番よく見えます。随分分かりやすい人間になりましたね。

ミヤコ退院後、運転中の会話の場面でのケーゴには成長も感じます。

 

以上、まとまりはまったくありませんが、大まかに振り返りました。

この作品での恋愛は、よくありがちな”はじめから好きだった”、"不思議と惹かれ合った"というような直接的で直感的な表現というよりは、出来事を通して徐々に変わる登場人物のリアルで繊細な心境がちょっとした行動から考察できるところが面白いと思います。

私の勝手な感想なので、作者の方含め読者の方で、ちょっと違うという部分や私の記憶違いの箇所がありましたら、ご意見いただけるとうれしいです。

今回は以上ですー

 

読んだきっかけ

読んだきっかけについて

 

 

お久しぶりです。

人生の何気ない境目に立つと思い出すこの作品。

 

前回の記事でも少し触れましたが。

自己紹介も含めてメメントモリとの出逢いについて少し書きます。

 

自称進学校に進学した自分は、そこそこの容姿、そこそこの学力で退屈な授業をケータイ小説を読んでやり過ごしていた。

 

高校1~2年頃。

読了順だと 本日は最狂の日なり→無限の雪 等短編集メメントモリSTL・続編…)という順である。

 

 

メメント・モリ

 

 

すごい世界だと思うと同時に憧れた。

特に高校生だった自分は、GPのミヤビの雰囲気に憧れ、遊びに行くときは、都がクラブに行くときに着せられた「あの服」をイメージした服を着た記憶がある。

 

エージもケーゴもツバキも魅力的だった

高校生の頃のツバキのクソガキ感、エージの笑った顔・ケーゴの傍若無人さ…

 

自分は圧倒的に蚊帳の外の世界の人間だからこそ、中心のあの人達に憧れた。(そんなスピンオフもありましたね)

 

そして大学3年生へ謎に憧れを持った(立地的にも慶応大経済にいそうだと思ってる)。

彼はどんなキャンパスライフを送っていたのだろうか。

この狭い世界の中心で回りを操る人物は、広いキャンパスで何を思うのか。

 

彼らの年齢を超えた今でも、

節目ごとに読み返しては思いを馳せる。

何回読んでもあのハヤシライスはおいしそうだと思うし、あの店主の場面は鳥肌。

 

 

 

メメントモリの愛を語りたい

ブログなんて10年ぶり?とまでいませんが、

筆まめでない自分が、どうしてもこのことだけは書き残しておきたいと思いブログに書き残しておくこととしたことです。

作品の宣伝、というよりは備忘録および読んだ人と感想を共有したくて書いてます。

(なにせ某携帯小説投稿サイトがいつまで保守してくれるか、あまり信頼してないもので...このブログですら10年後存在してるかどうか、、) 

 

メメントモリ」とは

タイトルにもある「メメントモリ」とは、2010年に魔法のiらんど内に投稿された小説作品。

 

https://maho.jp/works/16743963567757574036

 

著者は楓零軒さん。本編はⅠからⅣまで続く長編作品となっている。

コアなファンが多い楓零軒さんの作品の中でも、「四獣」、「STL」と並び、

熱狂的に好きなファンが何度も読み返している人気の作品であるように感じる。

女子高生、イケメン、恋愛という携帯小説に必要不可欠な要素はあるものの、

その内容は携帯小説として無料で読むにはもったいない程本格的である。

ストーリーについてはかいつまんで話せるほど一筋縄ではない。上手に説明できないので、読んでからまた戻ってきてくれ。

 

作品との出会い

自分が中~高校生の頃が携帯小説の全盛期であった。

恋空・赤い糸が実写化された頃、どの女子もそれぞれにお気に入りの作品の更新を楽しみにしていた頃。

どんなワードで検索したかは忘れたが、ワード検索によって出会ったのが、楓零軒さんの「本日は最狂の日なり」だった。

その作品を読了した後に、今までの作品にも興味が湧き、出会ったのが「メメントモリ」である。ちなみに、そのタイトルのワードは、Mr.Children履修済みの自分にとっては聞きなじみのある言葉であった。

 

衝撃だった。

メメントモリの世界観、登場人物の言葉、あらゆるものが10代の自分に響き、

その世界観を追求した。

実際にいたらこんな人だろうか、そういう人は本当にいるのだろうか、

どんな場所なんだろう、モデルの場所もあるのだろうか。いろいろと調べ、影響されまくっていた。『罪と罰』に手を出したまである。

 

ただ、趣味の多かった自分は他の者からも影響を受け、ミーハーになったり、懐古趣味になったり、モテたり干されたりして、大人になっていった。

そして今年に入ってから、再度読み直した。きっかけは忘れた。

昔読んだときと話は変わっていないのに、こんなにも自分の感じ方がちがうとは。

大人になってしまったんだな、と少し悲しくなった。(昔の自分の理解力低かったんだな、とも思った)

 

 

作品の魅力

(この手の文を書くのが苦手で。何をいっても薄くなってしまう。。)

  • 登場人物の魅力

 容姿やスペックは他の携帯小説でも充実しているもんですが。一人一人の人物の深みがある。ツバキが主人公の短編もありますが、誰の視点で作品を作ってもいいくらい、 それぞれの人物が魅力的。ありきたりな少女漫画や甘甘作品にあるような、主人公を引き立てるためだけにいるようなかわいそうな人物がいない。モブがモブでない。

 今後たっぷり言及していくつもりだが、ケーゴが本当に魅力的。

 当たり前っちゃ当たり前だが、ミヤコの視点で書かれているからか、ミヤビの表現が少ないのが逆に想像させて面白い。(ミヤビ風の服とか昔考えてた)

  • 描写と比喩

 月の海とシーラカンス、夜と羊など、比喩や表現がいちいち秀逸。一貫したモチーフ  が登場するのも作品の雰囲気として素敵。作品の中では、夢と現実を行き来することがあるが、やはり表現や描写によってメリハリがあるため、読んでいて混乱してしまうことはあまりない。

  • ストーリーに矛盾がない

 厳密な時系列(〇年前、とか)が出てくるわけではないが、ちゃんと辻褄が合う。読み直すとより一層合点がいく。理解力の問題かもしれないが。

 そんな都合のいいことある?ってことはちゃんと意味があったりする。偶然と必然が    

旨いことできてる。

 ツバキとミヤビの時系列だけあまり理解できてないので、今度時間軸を書いて考えた     

 い。

 

 

長くなりそうなので今回はここまで。